表の一番目は、食道がんや胃がんの多い中国の一地域で行われたもので、一九九三年(平成五年)の『米国立がん研究所ジャーナル』に論文として報告されました。
この地域の一般住民二万九五八四人をランダム(無作為)に四グループに分け、βIカロテンに限らずいろいろなビタミンやミネラルを組み合わせて、サプリメントとして毎日飲んでもらいました。
五年間の追跡調査を行ったところ、βIカロテン(一五ミリグラム)、ビタミンE(三〇ミリグラム)、ミネラルの一種であるセレン(五〇マイクログラム)、この三種類の組み合わせを飲んでいたグループでは、それ以外のグループと比べて、全がんの死亡率が一三パーセント下がりました。
なかでも、胃がんの死亡率は二Iパーセント下がりました。
また、脳卒中などの脳血管疾患の死亡率もI〇パーセント下がるという結果でした。
この研究は、β−カロテン単独の効果を調べたものではありません。
けれども、β−カロテンを含む栄養素をサプリメントとして投与するだけで、胃がんをはじめとするがんの死亡率が低下する可能性を示した、非常に画期的な研究でした。
この研究が報告されたのを機に、β−カロテンや他のビタミン、ミネラルのサプリメントによるがん予防への期待が、一気に高まりました。
期待を裏切る意外な結果 ところが意外なことに、この中国の研究に続いて報告された欧米での研究は、まったく違う結果になりました。
表の二番目の「ATBCスタディ」は、一九九四年(平成六年)に論文として報告されたものです。
二万九一三三人のフィンランドの男性喫煙者、要するに肺がんのハイリスク群を、ランダムにグループ分けして、β‐カロテン(二〇ミリグラム)のサプリメントを毎日飲む群と飲まない群、またビタミンE(五〇ミリグラム)のサプリメントを毎日飲む群と飲まない群に分けました。
β‐カロテンやビタミンEのサプリメントを飲まない群には、これらのサプリメントと同じ見かけをしているけれども、β’カロテンやビタミンEが含まれていないプラセボ(偽薬)を飲んでもらいました。
その後、五年から八年の追跡調査を行ったところ、βIカロテンのサプリメントを飲んでいたグループの肺がん発生率が、飲まないグループに比べて、一八パーセントも上かってしまったのです。
そればかりか、心筋梗塞などの虚血性心疾患の死亡率が一一パーセント上昇し、脳卒中などの脳血管疾患の死亡率も二〇パーセント上昇するという結果でした。
β‐カロテンにがん予防効果があれば、そのサプリメントを飲んだグループでは、肺がんの発生率が下がるはずです。
そのことを期待して行われた研究であるにもかかわらず、まったく反対の結果になってしまったわけです。
続いて一九九六年(平成八年)には、二つの臨床試験の結果が報告されました。
表の三番目の「CARET(キャレット)」という研究は、表の二番目のフィンランドの研究に似た研究です。
一万八三一四人の米国の喫煙者、あるいは仕事を通してアスベスト(石綿)を扱った経験のある人を対象にしました。
いずれも肺がんのハイリスク群です。
この人たちをランダムにグループ分けして、β‐カロテン(三〇ミリグラム)とビタミンA(レチノール。
二万五〇〇〇国際単位、または七・五ミリグラム相当)の入ったサプリメントか、またはプラセボを、毎日飲んでもらいました。
平均四年間の追跡調査を行った結果、β‐カロテンとレチノールの入ったサプリメントをがん予防にサプリメントは必要か?飲んだグループの肺がん発生率が、飲まなかったグループより二八パーセントも上昇しました。
そのため、ほんらいはサプリメントの投与をより長期間続ける予定だったのですが、この段階で投与を中止してしまいました。
この研究と同時に報告されたのが、表の四番目の「医師の健康研究」です。
これは米国の男性医師、二万二〇七一人を対象に行われました。
参加した医師の大半は、たばこを吸わない非喫煙者です。
その人たちをランダムにグループ分けして、β‐カロテンのサプリメント(五〇ミリグラム)やアスピリン(三二五ミリグラム)を一日おきに投与するか、またはプラセボを投与しました。
アスピリンには、血液の流れをよくし凝固を防ぐ作用があるため、がんではなく心筋梗塞などの心臓病の予防効果を調べるために使われました。
その結果、アスピリンを投与したグループでは、心筋梗塞などの虚血性心疾患の発生率が五一パーセント低下、つまり半減しました。
ところがβ‐カロテンのサプリメントについては、最初の予定通り二一年間も投与を続けたけれども、がんの発生率は上がりも下がりもしませんでした。
つまり、喫煙者など肺がんのハイリスク群を対象に行われた二つの研究のように、βjカロテンの投与によってがんが増えるようなことはなかったけれども、がんが減って予防効果を認めるようなこともないという結果だったわけです。
表の五番目の「女性の健康研究」は、米国の看護師などの保健専門職の女性三万九八七六人を対象に行われた研究です。
「医師の健康研究」の参加者と同じように、この研究の参加者も、大半は非喫煙者です。
その大たちにβ‐カロテン(五〇ミリグラム)、ビタミンE(六〇〇国際単位、または六〇〇ミリグラム相当)、アスピリン(一〇〇ミリグラム)を一日おきに投与するか、またはプラセボを投与しました。
ただしこの研究では、先はどの「キャレット」と「医師の健康研究」の結果報告を受けて、β−カロテンの投与を予定より早く、二年間で中止しています。
投与を中止したあとも追跡調査だけはさらに二年行い、その結果が一九九九年(平成一一年)に論文として報告されました。
β‐カロテンのサプリメントについては、がんについても、心筋梗塞や脳卒中などについても、害もない代わりに予防効果もないという結果でした。
続くβ−カロテン論争 結局これらの臨床試験では、中国での研究を除けば、がん予防効果を期待してβ−カロテンのサプリメントを投与したけれど、たばこを吸う人では逆にがんの発生率が高くなり、たばこを吸わない人たちでは発生率は上がりも下がりもしないという、まったく予想外の結果だったわけです。
これら一連の研究結果は、世界中の研究者に大きな衝撃を与えました。
その結果をどのように解釈するかは、いまでも議論されています。
たとえば、次のような解釈がなされています。
@普通の食事を通したβ−カロテンの摂取量は、日本人なら一日二〜三ミリグラム程度であ る。
これに対して、一連の臨床試験では、一日あたり一五大二〇ミリグラムのβIカロテ ンを投与した。
つまり、食事から摂る量の五〜一〇倍を、サプリメントとして投与した。
そのため、投与量が多すぎて、かえって有害になった。
・β−カロテンのがん予防メカニズムとして、体内で発生する活性酸素を処理し、活性酸素 が細胞や遺伝子を傷つけるのを防ぐという、抗酸化作用が考えられている。
ところが、喫 煙という酸化ストレスのかかった状況では、β−カロテンは酸化を抑制するのではなく、 かえって促進する作用が生じた。
・研究期間中に診断された肺がんの大半は、βIカロテンの投与を開始した時点ですでにが ん細胞が発生しており、β−カロテンがその発育をかえって促進した。
・中国の地域住民と比べて栄養状態が相対的に良好な米国やフィンランドの集団では、食事 から摂取するβ−カロテンだけで十分であり、サプリメントとして多量に投与しても効果 はない。
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